近年、日本や朝鮮の骨董に興味が出てきた私ですが、それ以前の20数年はずっとイギリスのアンティークが好きでした。
それも、高級な高価なものではなく、1920~1930年頃の、正式にはまだアンティークと呼べないような、一般家庭で使われていたものに惹かれ、これはマイブームの中で最も長いあいだ続いたのでした。
それが、風水コンサルタントとなった頃から、古ぼけたモノよりも、新しいモノに輝くオーラを感じるようになり、集まっていたそれらに急に魅力が感じられなくなってしまったのです。
そんな私ですが、現在は日本や朝鮮の素朴で味わい深い骨董に魅せられています。
そうして先日も「カフェと骨董巡り」と題して出かけたわけですが、いくつかピックアップして出かけた店の中には、入った途端に出たくなるようなところもありました。
明らかに、ガラクタと化した、そのモノ達が過ごしてきた場所の空気を蓄えたままであるかのような臭気を放ったモノたち、それらがぎっしりと並べ或いは積まれ特異な雰囲気を放つ店内、そう感じるところからは、一目散に出たくなったものです。
それとは逆に、古い古いものがそれなりにキレイに整然とおかれた、どことなく清潔な気を感じる店には、オーラを放った味わい深い存在を見ることができました。
この差ってなんでしょう?
何でも凝り出すと、ついあれもこれもと欲しくなりますが、古いものであるからこそ、場を淀ませることのないよう、手入れして、そのものがオーラを放つような置き方・飾り方を工夫しなければならないと思いました。
例えば、それにイキイキと、または凜とした花や枝をあしらうとかです。
風水的には、古いモノは、以前の所有者の気が残るとして、その方がどのような人生であったかを気にするところがあります。なので、所有者が分からないものには手をださない方が無難です。
かといって、出逢いもご縁ですし、サスティナブルな観点からいっても、古いモノをそのまま使う・飾る・また別の用途として用いるにしても、大切に愛で、そのものを活かし、再び役割を与えられるではないか・・・
などど言い訳しています。
私には骨董・美術品としての価値を見分けることはできませんが、古いモノを購入する際には、たとえそれが本当は店主が言うような価値のないものだったとしても、それをこの価格で購入して後悔ないかを自分に問おて選ぶことにしています。(って高価なものは買ったことがないのですが。笑)
自宅に置くものだから、自分にとって価値があるかどうか、自分がときめくかどうか・・・です。
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