朝日が見たい。
頭の中を、「朝日のあたる家」内田裕也ヴァージョン♪が流れる。
今の季節、日の出は少し遅くなって、私の地域では5時17分。
この頃は、早いときは5時過ぎに散歩に出かけることもあるので、無理でない時刻。
数日前から、そんなことを思って、今日は晴れ!実行しました。
比較的土地が低く、建物は高い地域に住んでいて、見えにくい条件ではありますが、うまくいけば建物の間から昇る朝日が見られるかもしれない。。。
そう思いましたが、やはり建物に遮られ、随分高い位置にあがるまで見られませんでした。
次は隣町の小高い場所にある公園へ、チャレンジしてみます!
こんな早い時間というのに、いつものゴミ拾いの女性に出会いました。
バケツとトングを持って、まだ人通りがない道路や公園のゴミを拾って歩いているのです。
いつもは、公園でラジオ体操をしている時間に散歩することが多く、その時に見かける女性です。
その1時間前には、すでにゴミ拾いをされていて、その範囲が思っていたより広いことを知りました。
私は、その人を見かけるたびに、この人にはどんな良い出来事があっただろう・・と思ってしまいます。
ドジャースの大谷くんも、ゴミ拾いを、たしか「他人が捨てた運を拾う行為」と実行されていたと思いますが、このような、人がしたくない行為を進んでする人には天の恩恵があるようです。
有名人のトイレ掃除もそうですが、何事も才能や努力だけでは叶わず、運がないと成功しない。
どんな世界でも言われることで、大企業の創設者や著名人が、神にすがったり、仏教を学んだり、精神世界に繋がったりして、目に見えない力・運を味方にしようとします。
もちろん自分磨き・真理の探求・社会や人のための行為と思いますが、場をきれいにする行為には、どうも運がつくようですね。
ずっと以前、エアコンの掃除に来てくれたおじさんに、
「他人の家の掃除をする仕事をされていて、すごく運をつけているのではないですか?
なにか良いことがありましたか?」
などと、恥ずかしながら尋ねたことがあります。
おじさんは、
「仕事はね、そんな気持ちでしてはダメなんですよ。ただ一所懸命に、これをきれいにしようとするだけです。それでその先に、もしかしたら良いことが付いてくることもあるかもしれない。
でも、はじめからそれを期待してやってたんじゃ、そうはいかないもんです」
と、やんわりと私を諭してくれました。
誰かに・何かに・神に褒められようと、運を引き寄せようと、初めからそれを期待してする行為は無意味。自分の浅ましい考えが恥ずかしくなったものです。
もしも、動機はそうであったとしても、それが習慣になり自然とできるようになるまで続けなければならないでしょう。
朝からそんなことを思いました。
朝散歩は、蝉の声から、一斉に秋の虫の音に変わりました。いろんな虫の音が重なりあって響き、それはもう別世界に入り込んだようです。
虫の音に耳を傾けたり情緒を感じるのは日本人特有で、外国人には雑音にしか聞こえない。と先日テレビで聞きましたが、もしそうなら、日本人で良かった~と改めて思います。
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